美味しいお菓子を貰いました
ウイーンの焼き菓子です。
日本のお菓子とは少し味が違う。
細長いクッキーにハーブや胡椒をかけた物がとても気に入りました。
とても嬉しかったので、お菓子の包み紙で楽譜ファイルの表皮を覆うカバーを作りました。
とても派手で良い感じです。
ささやかな幸せです。
1つの情報を鵜呑みにしない事
私はボランティアで小学校で本の読み聞かせをしている。
そういう活動をしている団体に所属しているのだ。
先日の3月11日に「震災について6年生の子供達に語ってほしい」と小学校から依頼を受けて、2人のお母さん方と一緒に読み聞かせをしてきた。
私が題材に選んだのは新聞記事。
放射能汚染について、日常生活の不安を訴える福島の主婦、甲状腺癌の増加を伝える岡山大教授、その教授の意見に反論して福島は安全だと伝える東大教授。三者の意見を並べた記事だ。
1つの事象を多角方面から検証する大切さを伝えたくてね。
他の2人のお母さんが涙ながらに家族を失った人達の手記を読み上げていたから、自分だけ酷く浮いてしまったけど、1つの情報だけ鵜呑みにする危険を子供達に知って欲しかった。
もちろん被災した人達に対する思いやりや共感は大切だけど、分かり易い、共感し易い感情にだけ身を委ねる事は危険だよ。
うまくら伝えられただろうか?
マルチ商法というカルト
自分の身に降りかかるまで、その恐ろしさが理解できていなかった。
よくある悪徳商法の1つだと思っていた。
しかし実際はとても恐ろしい、カルト宗教と同じだった。
知識も理解もない頃は自分に直接被害を与えた(第1のママ友と思っていた)彼女に単純に激しい怒りをぶつけた。
今なら彼女も被害者なんだと解る。
かつて参加したセミナー。
壇上の上には「年収何千万円」というえらくハンサムな講師が、
熱く、激しく、そのマルチ商法の素晴らしさを語っていた。
客席には「うん!うん!」と素直に頷く数多くの主婦達。
まるで一匹の狼が、素直に他人の言うことを信じる善良な羊達をたぶらかしている様子だった。
こんなおとぎ話のような事が実際に起こっていたのだ。
そもそもマルチ商法は自己啓発セミナーとセットになって誕生している。
ダウンという他人に、いかに大金を使わせるがが成功の鍵となるマルチ商法と、他人の意思を操るプロの自己啓発セミナーの講師。最悪の組み合わせだ。
恐ろしいカルト宗教のようなマルチ。
一刻も早く国による全面禁止を望みます。
嬉しかった事
その日はクリスマスコンサートの本番だった。
会場がかなり遠方だったので、名古屋のある駅のスタバの前で、ある人に車に乗せてもらう事になっていた。
バスと電車を乗り継いでその駅に向かう私は、絶対遅れないように逆算して家を出た結果、待ち合わせの時間より15分以上も早く到着してしまった。
寒い冬の朝、流石に早く着きすぎたな…と駅の構内を横切り、南口からスタバの方へ歩いていくと…
もう既に車が停まっていた。
フットレストに左肘を預け、頬杖しながら頭を左に傾け、カーナビのテレビを見入ってる後ろ姿がぼんやり目入ってきて無性に嬉しくなった。
私が早めに到着する事をちゃんと分かっていて、さらに早めに待っていてくれたのだと分かったからだ。
今は携帯電話もあるし、待ち合わせの時間も場所もいい加減になったりするのはよくある事だ。
だから車で数分の場所に住んでるその人がとってくれたその行動がとても嬉しかった。
自分もなるべく約束の時間を守れる人間でありたい。
年老いたら必要な事
仕事を続ける事だと思う。
収入源を持ち続ける事、
頭と身体を動かし続ける事、
どちらも大切。
「自律心」が重要なのかな?
あと、相手の立場や気持ちを考える想像力。これも大切。
年をとればとるほど狭い視野の、我が道をゆく老人になってしまいがち。色んな人と交流して、常に相手の考えや思いを柔軟に受け入れようとする意識が必要。
少し前に豪雪地帯の水上町に住み続けるお年寄りについてテレビのニュースで特集していた。
そこで紹介された80代の女性。
1人で生活し、唐辛子作りや養蚕の仕事を続けている。
養蚕の仕事は男手を必要とする大変な作業。夏場は何度も桑の葉を運ぶ。そして枯れた桑の木を風呂を沸かす焚き付けに使用している。
こんな大変な生活を続ける理由は、亡き夫への想いだという。
長年夫と苦楽を共にし、養蚕を続けたこの女性は、仕事を続ける事で今でも夫と一緒に居るのだろう。
お世辞にも美しいと言えぬ外見。お金に余裕があるわけでもなく、日々の生活は大変そうだ。
それでも私はこの女性の生き方を美しいと思った。
こんな高齢者になりたい。
子供の成長
小学校で「6年生を送る会」が行われた。6年生の保護者のみ参観できるので、午前中に仕事を終えると小学校の体育館へ急いだ。
1年生から5年生まで各学年順番に、
6年生へありがとうのメッセージがこもった出し物をしていく。
そうすると我が子が小さかった頃が次々と思い出されてとても切なくなった。
子供の成長は喜ぶべきだが、あの小さな子供時代はもう二度と戻ってこないんだなぁ〜と思うと寂しくてたまらない。
あと何年一緒に居られるのだろう?
ふと「モモ」という小説が頭に浮かんだ。その話では「時間」がその一瞬だけしか咲かない、かけがえのない美しい花として表現されるシーンがあるのだ。
残り少ない子供との時間を、その一瞬一瞬を大切にしたいと思った。
こんな嬉しさと寂しさと色んな思いをさせてくれる子供は、やはり可愛い。